独りの正教徒が感じたこと

迷える子羊達へ

私の知っているイエス・キリスト(前説:その2)

キリストの死と復活は、霊的な意味において「命が朽ちて消えてしまう」ことの消滅と「永遠の命がキリストに記憶される」ことの発生を、私たちが実際に確信することができることを可能にしました。
これは、人間の「命」を、絶対的な霊的な存在として認識することができることを意味しています。

また、キリストは「罪を赦す」ことのできる唯一の存在であることは、キリストは霊的に浄い存在として人間を再生する力を持っていると解釈できます。

キリスト(救世主)は、「神の独り子」であること、そして、人間「エバ」(聖母マリア様)より「罪のない」人間「アダム」(イエス様)として産まれたことが、神様との直線的な関係を示していると同時に、アダムとエバの復活をも表しています。

キリスト教において、パンと葡萄酒のサクラメント、および、聖水によるバプテスマ(洗礼)が重要である事の意味を、次回に説明します。

以上