独りの正教徒が感じたこと

迷える子羊達へ

私の知っているイエス・キリスト(①洗礼)

「洗礼」とは、イエス・キリストによる罪の赦しと清めを受ける第1回目であり、キリスト教徒としてこれから生きて行くことの宣言でもあり、キリスト教徒になるための手続き(サクラメント)です。
自分自身がイエス・キリストを主として祈る信仰生活の第一歩です。
正教会では、洗礼を受ける人は必ず代父と代母を立て、神父様を合わせたこの三名が「洗礼」の証人となります。
カトリック教会でも「洗礼」には三名の証人を立てなければ認められません。
「洗礼」では、神父によって、水(聖水)に浸されるか、または、水(聖水)をかける儀式が行われます。
イエス・キリストは、洗礼者ヨハネに洗礼を受けた時から宣教を始めました。
私達は「洗礼」を受けることでイエス・キリストを信じる信仰生活を始めるわけです。
キリスト教徒なら誰でも知っているニカイア信条に「われみとむひとつの洗礼、もってつみの赦しを得るを」というフレーズがあります。
「洗礼」とは、復活したキリストが「信ずるものは、皆、聖なり」と言われた本質的なキリスト信仰に与えられたキリストの祝福であると私は思います。
以上