独りの正教徒が感じたこと

迷える子羊達へ

私の知っているイエス・キリスト(前説:その1)

キリストを少し知っておきたいと思う方を対象に、私の中のイエス・キリストを少しお話ししていきたいと思います。
そんなものかと思われるかもしれませんが、不満のある方は、黙って聞き流してください。
お願いします。

まず、子供の頃の経験をお話します。
私が幼稚園に通っていた時、白人の神父が、度々、私に話かけてきました。
その神父は、「命とは何か」という問いを子供の私に幾度となく問いかけました。適当にこたえようとするとひどく怒りました。
「命の存在」を考える人になって欲しいということが少し分かったくらいですが、少し自分が今までと違っているのを感じました。
「命」を考えること、そして、「命」を自覚することの大切さを学ぶ方向性が、自分自身の中に芽生えたと思っています。
その神父の持っている命の絶対的な存在感に圧倒され、その命の受けとめ方が感覚的に自分の中で存在感を持つようになった記憶があります。
そんな私が、イエス・キリストについて、感じている事を述べていきます。

以上