独りの正教徒が感じたこと

迷える子羊達へ

2019-01-01から1年間の記事一覧

私の知っているイエス・キリスト(⑥死と復活:(7)生命(霊)の印)

私は、過去に津和野(島根県の山奥)に行ったことがあります。 そこに乙女峠という場所(光淋寺)があり、幕末にキリシタンの迫害(拷問)が行われ、36名のキリスト教徒が殉教しました。そして、拷問にあっていた者の中に聖母マリアを見たと言うものがあり、マリア…

私の知っているイエス・キリスト(⑤死と復活:(6)生命(霊)の存在)

イエスは、現実逃避のために死に向かって行ったのではありません。 イエスは私達の罪を背負って死に、そして復活するためにユダヤ社会と対峙したのであり、イエス・キリストの死と復活は、生命(霊)の死を滅ぼし、永遠の生命(霊)の誕生を現していると思います…

私の知っているイエス・キリスト(⑤死と復活:(5)イエスの受難)

何も悪い事をしていない、それどころか多くの人を救済してきたイエス・キリストが犯罪者と共に処刑されました。それも、宗教指導者と群衆によって裁かれて処刑されたと言ってよいと言えます。刑の執行権限を持つポンテオ·ピラトは、死刑にする罪を認めること…

私の知っているイエス・キリスト(⑤死と復活:(4)記憶の聖パン)

正教会には、聖パン記憶といって「生存者」(生きているがミサ(聖体礼儀)に来れなかった信者)と「永眠者」(亡くなられてミサ(聖体礼儀)に来れなかった信者)を対象に、主イエス・キリストと神の慈憐による救い(生存者にとっては生命(霊)の癒し、永眠者にとって…

私の知っているイエス・キリスト(⑤死と復活:(3)天国とイコン)

イエス・キリストには12人の弟子がいて、その弟子達が中心となって福音を述べ伝えました。 その弟子(聖使徒)の1人であるルカという人は、「ルカによる福音書」や「使徒行伝」を編集しました。 聖使徒ルカは、医者で絵を描くのが得意であったそうで、正教会で…

私の知っているイエス・キリスト(⑤死と復活:(2+α)「主の祈り」のつけ足し)

神の独り子イエス・キリストの贈り物である「主の祈り」の内容について、個人的に言いたいことがあるので、つけ足します。「主の祈り」の中で次のフレーズが大切であり、受けとめ方がいろいろあると思っています。『わたしたちに負債のある者をゆるしました…

私の知っているイエス・キリスト(⑤死と復活:(2)イエスの教え「主の祈り」)

イエス・キリストは、イエスを信仰する人々に、神に祈る言葉を教えました。 その祈りのおもな内容は、この世において、主イエスを中心とし、そして、主のご加護を受けた平和な生活が送れますように願うこと、主イエスに罪の赦しを求めること、そして、神を賛…

私の知っているイエス・キリスト(⑤死と復活:(1)イエスが泣いた出来事)

ラザロ(正教会ではラザリ)が死後4日目にイエス・キリストによって生き返った逸話です。(以下の記述は、私の解釈(思い)です)ユダヤ人であるマルタとマリアの兄弟ラザロがイエスがいない間に病気で死んでしまいました。3人共にイエスを主と信じる信仰を持った…

私の知っているイエス・キリスト(④マリア論)

最初に「マリア論」の基本的な考え方を説明します。(あくまで私の理解していることです)私は日本ハリストス正教会の信徒で、数年前にロシアのイコン画家に描いて頂いたイコンを記載します。(著作権は正教会にあります)このイコンの表現形態は、聖母子像を描…

私の知っているイエス・キリスト(マリア論前説:その②)

前回、「マグダラのマリア」について述べましたが、私は世間の想像(元娼婦とかイエスに対して男女関係を求めた人とか)とは違い、非常に知的で強い意志をもった思慮深い女性で、イエスの姉のような存在だったと思います。常にイエスを守り抜くような姉弟愛と…

私の知っているイエス・キリスト(マリア論前説:その①)

聖書に記載されている「マリア」は二人いて、キリストの母である「聖母マリア(生神女マリア)」と「マグダラのマリア」です。 「聖母マリア(生神女マリア)」については、多くの方が知っていて、私個人の認識は一般の常識とそんなに違っていないと思います。 …

私の知っているイエス・キリスト(③パンと葡萄酒(領聖))

「悔い改め(痛悔)」を終えたキリスト信者は、この世とのわだかまりのすべてを捨て、清い落ち着いた心持ちにて、イエス・キリスト(イイスス·ハリストス)の復活した命(霊的存在)にあずかる想いを持って、静かに待ちます。 ミサ(聖体礼儀)の進行に従って、主の…

私の知っているイエス・キリスト(②悔い改め(痛悔))

「悔い改め(痛悔)」は、自分の周りの世界からイエス・キリストに向き直る行為であると私は思います。 小さな子供が母親に泣いてごめんなさいをしている姿を一度は見たことが、誰もあると思います。 それは、母親との心の距離を広げたくない(そばで見守って欲…

私の知っているイエス・キリスト(前説:その4)

前回、最後の晩餐について述べましたが、肝心なキリストの体としての「パンと葡萄酒をいただくこと(領聖)」について説明していませんでした。 キリスト教では、「悔い改め(痛悔)」と「パンと葡萄酒をいただくこと(領聖)」はセットになっています。 では、何…

私の知っているイエス・キリスト(前説:その3)

悔い改め(痛悔)とパン&葡萄酒(領聖)の説明の前に、どうしても言っておきたいことがあるので、それを述べます。数年前、私は埼玉のとある町に住んでいて、毎日都心まで満員電車に揺られて通勤をしていました。 ある日曜日、隣の駅で人身事故があり、しばらく…

私の知っているイエス・キリスト(①洗礼)

「洗礼」とは、イエス・キリストによる罪の赦しと清めを受ける第1回目であり、キリスト教徒としてこれから生きて行くことの宣言でもあり、キリスト教徒になるための手続き(サクラメント)です。 自分自身がイエス・キリストを主として祈る信仰生活の第一歩で…

私の知っているイエス・キリスト(前説:その2)

キリストの死と復活は、霊的な意味において「命が朽ちて消えてしまう」ことの消滅と「永遠の命がキリストに記憶される」ことの発生を、私たちが実際に確信することができることを可能にしました。 これは、人間の「命」を、絶対的な霊的な存在として認識する…

私の知っているイエス・キリスト(前説:その1)

キリストを少し知っておきたいと思う方を対象に、私の中のイエス・キリストを少しお話ししていきたいと思います。 そんなものかと思われるかもしれませんが、不満のある方は、黙って聞き流してください。 お願いします。まず、子供の頃の経験をお話します。 …

人と社会と国との関係を考える(3)

米国と日本は、強い利害関係によって成立していて、それ以上の関係をお互いに持たないという見えないルールが存在し、その範囲内で信頼関係が成立しているようにみえます。 沖縄の普天間飛行場への移設問題も、そのような大人の関係が影響しているように見え…

人と社会と国との関係を考える(2)

日本とロシアの関係は、現在不透明で、方向性が見えていません。 ロシアとウクライナの関係は深刻(真剣)です。 昨年(2018年)、コンスタンティノープル総主教がウクライナ正教会の独立を認め、ロシア正教会と絶縁し、全世界の正教会(オーソドックスチャーチ)…

人と社会と国との関係を考える(1)

韓国では反日、日本では嫌韓の流れがどんどん大きくなって来ています。 その中で米国は自国のアイデンティティを強調する形で仲裁をしていますが、 結局、米国が主導権を握って朝鮮半島問題に決着をつける方向に進んで行くと思います。 私達、日本人は、どん…

はじめまして、いつまでも迷わないで!

今日(2019/09/08)からブログを書くことにしました。 子供の頃のあだ名が「アシ君」だったので、それにちなんでIDを決めました。 自分や社会を改めて見つめ直すことで、迷わない自分を作っていきたいと思います。 私の書く文章が、読まれる方に不愉快にならな…