独りの正教徒が感じたこと

迷える子羊達へ

私の知っているイエス・キリスト(⑤死と復活:(4)記憶の聖パン)

正教会には、聖パン記憶といって「生存者」(生きているがミサ(聖体礼儀)に来れなかった信者)と「永眠者」(亡くなられてミサ(聖体礼儀)に来れなかった信者)を対象に、主イエス・キリストと神の慈憐による救い(生存者にとっては生命(霊)の癒し、永眠者にとっては生命(霊)の安息)を受けるようにミサ(聖体礼儀)に来た信者が取り計らう方法があります。

聖パン記憶について説明します。

まず最初に「生存者」と「永眠者」の二種類の用紙のどちら、または、両方に「聖名と氏名」のリストを書き、ミサ(聖体礼儀)の最初に神父に提出しておきます。
ミサ(聖体礼儀)にて神父がイエス・キリストの記憶にあずかるサクラメントを行って用紙ごとに記憶の聖パンを用意し、信者がミサ(聖体礼儀)の終わりに用紙と聖パンのペアを受け取って家に持ち帰ります。
食事の前に「主の祈り」を暗唱した後に用紙に書かれた方たちを思って聖パンを食べます。
聖パン記憶は、信者同士の相互補完のためですが、一般の信者さん達は、自分の家族や親戚をイエス・キリストに記憶して頂く手段として使用しています。また、用紙には、自分の聖名を通して信者でない自分の家族や親戚を記入することもできるので、信者でない自分の家族を思いやることができます。
(信者であろうがなかろうが、自分の家族のために祈ることができます)

すなわち、聖パン記憶によって、永眠された方を含む他の人達(信者、神父、自分の家族)が、主(イエス・キリスト)·神の慈憐を受けられるように(イエス・キリストに記憶されるように)祈ることができます。

私は、この方法で、信者でない方たち(自分の家族や先祖)もイエス・キリストの救いに預かることができると信じています。

「信じる者は救われる」(信者はイエス・キリストによって生命(霊)が救われる)ことは確かですが、それだけで済む話ではないと私は思っています。

以上