独りの正教徒が感じたこと

迷える子羊達へ

私の知っているイエス・キリスト(③パンと葡萄酒(領聖))

「悔い改め(痛悔)」を終えたキリスト信者は、この世とのわだかまりのすべてを捨て、清い落ち着いた心持ちにて、イエス・キリスト(イイスス·ハリストス)の復活した命(霊的存在)にあずかる想いを持って、静かに待ちます。
ミサ(聖体礼儀)の進行に従って、主の祈りやニカイア信条の告白の後、復活したイエス・キリスト(イイスス·ハリストス)の体(ご聖体)であるパンと葡萄酒を神父様より直接いただきます(領聖)。
最後の晩餐にて、イエス・キリスト(イイスス·ハリストス)は弟子たちに向い、自らパンを裂き、「これは私のからだ」、そして、葡萄酒の入った盃を取り、「これは私の契約の血」(契約:罪の赦し)であると言われ、そして、これらを弟子たちに与えて「これにより、私があなた方の中にいると同時にあなた方は私の中にいる」こと(主イエス・キリストとの直接的な関係が成立すること)を宣言されました。
「パンと葡萄酒をいただくこと(領聖)」とは、復活したイエス・キリスト(イイスス·ハリストス)に記憶される(主イエス・キリストより罪の赦しを得て復活の記憶にあずかる)と同時に、私達の中に復活したキリストの霊的な命が宿ることを、この世において実現することであると思います。
何故、パンと葡萄酒かというと、パンや葡萄酒は食べ物であり、神がアダムとエバをお創りになった時に、食べ物をあたえるためにこの世をアダムとエバに与えました。食べ物は、生きる手段や食欲を満たすためのものではなく、神様から与えられたものという位置づけで捉えています。

このサクラメントは、日々の生活の中で、直接イエス・キリストに触れる出来事としてしっかり捉え、キリストに感謝する気持ちを強く持つことが必要であると思っています。
キリストと共に生きる生き方に立ち返り、自分自身を見直して新しく生きる機会を得ることができるのですが、そのような体験を実現するには、キリストの絶対的な命(霊的)の存在、絶対的な愛、そして、キリストの祝福を理解し確信していないと無理だと思います。
イエス・キリストに感謝できるレベル(キリストを信じて神に祈るレベル)になるためには、聖書や教会について学び、自分のものとして納得(理解)するレベルまでもっていくことを心がけることが重要です。

次回からは、聖書に記載されている出来事の中で、私に大きな影響を与えたものを紹介していきます。
特に、キリストの母「マリア」(聖母マリア(生神女マリア)、かつ、新しいエバ(永貞童女マリア))について、説明したいと思います。

以上