独りの正教徒が感じたこと

迷える子羊達へ

私の知っているイエス・キリスト(④マリア論)

最初に「マリア論」の基本的な考え方を説明します。(あくまで私の理解していることです)

私は日本ハリストス正教会の信徒で、数年前にロシアのイコン画家に描いて頂いたイコンを記載します。(著作権正教会にあります)

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このイコンの表現形態は、聖母子像を描いたもので典型的なものです。
このイコンは、神·聖霊(聖神)の働きにより、神の独り子が人の性質を与えられ、処女マリアより産まれたことを信仰の対象(神の慈愛の形)として表現しています。
これは、神·聖霊(聖神)の祝福を受けた生神女マリア(神の母(セオトコス))が信仰の対象になっているからです。

「マリア論」は、基本的に二元論であり、上記の「生神女マリア」以外にもう一つあり、それは「新しいエバ」(正教会では「永貞童女マリア」と呼ぶ)です。

旧約聖書エバは、意図的にアダム(人間)を神から遠ざけ、アダムとエバは、神から不従順な者達として罪(楽園から追放され死ぬものとなった)を背負った。

新約聖書エバ(神·聖霊(聖神)から祝福された女)は、神の独り子であるキリストの母「マリア」であった。
彼女は、神と人間との中保者として一生を捧げ、死ぬまで神に従順であった。
このことに基づき、キリストの母「マリア」を「永貞童女マリア」と呼び、聖人として扱っています。

そして、新しいエバである「マリア」の子イエス・キリストは、十字架にて「古いアダム」(人間)の罪を贖い、死を討ち破って復活し、天に昇った。そして、イエス・キリストを信じる人は、人間の姿で地上に現れた神の独り子イエス·キリストを、「古いアダム」(人間)を『死』(罪)から開放した「新しいアダム」(人間)として解釈できると信じています。

上記の2点をまとめたものが、「マリア論」(二元論)です。

以上