独りの正教徒が感じたこと

迷える子羊達へ

私の知っているイエス・キリスト(⑥死と復活:(7)生命(霊)の印)

私は、過去に津和野(島根県の山奥)に行ったことがあります。
そこに乙女峠という場所(光淋寺)があり、幕末にキリシタンの迫害(拷問)が行われ、36名のキリスト教徒が殉教しました。そして、拷問にあっていた者の中に聖母マリアを見たと言うものがあり、マリア聖堂がそこに建てられました。
拷問にあったキリスト教徒は、長崎(浦上)から連れて来られた人達でした。
幕末は、尊皇攘夷派と幕府軍が猛烈なせめぎ合いをしていた時期で、社会や人々が大きな危機感を持っていた時代であったと思います。
その中で、キリシタン迫害が徐々に酷くなっていったと思われます。
キリスト教の歴史は、キリスト教徒の殉教の歴史でもあります。キリスト教では、殉教した人達を「聖人」として扱っています。彼らは、歴史の中に「生命(霊)の印」を刻んできた人達で、キリスト教徒にとって精神的に頼れる存在として認識できると思います。
キリスト教徒でない人から見ると、大変辛い気の毒な出来事でしかないと思います。
イエス・キリストの教えている「生命(霊)」を学ぶことができる私達は、自分達の過ちがどういう種類の過ちであるかを実感できるのではないでしょうか?
キリスト教植民地主義の根拠として利用したヨーロッパやアメリカなどの白人至上主義者達にも問題があると私は思いますが。
イエス・キリストを信じることが難しい人には、イエス・キリストの教えている「生命(霊)」が、人類のプライドであると思うだけでも十分尊いと私は思います。
以上